お知らせ

岡山県歯科医師会『一言申ス』

本年「岡山県歯科医師会誌 Vol???」に掲載された「年男年女 一言申ス」の内容です。親しくさせていただいてる先生方から全文の掲載を依頼されましたので、掲載いたします。

「わは方言トリリンガル」

2021年は丑年。この度、「年男 一言申ス」として光栄にも原稿執筆依頼を頂きました。36年の今までの人生を振り返り、自己紹介を兼ねまして、故郷の紹介と共にこれまでの経緯と新年の抱負を述べたいと思います。

わの故郷は青森県八戸市というところです。青森たって、りんごばりじゃなくて、わの町はイカと沖サバが名産です。数年前にはB級グルメに「せんべい汁」が取り上げられて、それで初めて八戸市を知った人も多いんではないでしょうか。八戸市は銭湯も有名です。そこらじゅうに銭湯があって「髪あめてきたな、今日どごさ行ぐ?」、「たまご湯さ、行ぐべ」、「昨日行ったっきゃな?」、「だば梅の湯で」なんて日によって銭湯を変えれるくらいたくさんあります。

わは南部弁の父と津軽弁の母の下に誕生しました。両親は共働きで、物心がついた頃からほとんど父方の祖父と生活していました。家庭の事情もあり、標準語とはほぼ無縁の世界で幼少期を過ごしたため、ネイティブナマリストとしての道を歩んできました。ちさい頃はめんこいめんこいって言われて育ちましたが、今はヒゲ坊主のごんぼほり。「性格がじっちゃさ似てらすけな」とよく言われますが、自分ではそこまでじょっぱりではないように思います。どうでしょうか?家計図をつけると、親戚のほとんどが歯科関係で構成される私です。母方の祖父母の代から歯医者の家系で、まわりからは「歯医者になんねばね」って言われ、育ちました。「へねばどんだんず?」って聞けば、「わがね、まいね」しか言われず…。

幼少期に、両親と共に過ごした記憶はほとんどありません。特に父とは…。両親は私が学校に行った後に起床し、私が晩ご飯を食べた後に帰宅していました。それが歯医者なんだ、と祖父になだめられていましたが、毎日泣いていたのを覚えています。歯医者という職業を憎み「絶対に歯医者にはならない」と決めていました。

しかし転機が訪れました。それは両親の診療所に通院してくださる患者様方が、私に両親に対する感謝の言葉をくれた事です。私は自分の視野がせまくなっていたのだと感じました。人に感謝される職業とは何と尊いのだろうと感激しました。

その頃からは「へば歯医者さなんねばね」と歯医者を目指すようになりました。今では天職であると思い、両親に感謝しています。

なぜ青森から岡山に?という声もよく聞きますが、当ホームページの院長の紹介ページにある通りです。岡山に来て8年。岡山の父母から岡山弁を習い、「でーこんてーてーてー」を習い、岡山弁の良さも感じています。現在は岡山市北区津島本町にて開業し、うげた歯も、ぐすい入れ歯も随時受付で、毎日楽しく診療しています。

新年早々にネバネバ文章で失礼します。今年一年の会員皆様方のご健康とご活躍を祈念しつつ、年初のご挨拶とさせていただきます。

※写真は「八戸三社大祭の山車」